音楽家、池谷隼人の日頃の想いや音楽についてを自由気ままに書き綴っていきます。
皆様のコメントやメッセージをお待ちしております。
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2008年4月25日(金)
JAZZライブハウス「ハニーサックルローズ」
ライブ自体は19:30からですが、
お店自体は19:00から開店してます。
内容は、ヴァイオリン・サックス・ピアノによる演奏会。
3人でトリオをやることもあれば、ピアノとのデュオ、ソロなど様々な演奏形態で、クラシックからポピュラーまで様々な音楽をお届けします。
45分くらいのステージを3回、3人で20曲以上ご用意してあります。全てお聴きいただいても1000円です!(お食事やお飲み物は多分別料金となります。)
お店のウェブサイトもございます。
http:// www4.t okai.o r.jp/a be/hsr /index .htm
是非お越しください。皆様にお会いできるのを楽しみにお待ちしております!
JAZZライブハウス「ハニーサックルローズ」
ライブ自体は19:30からですが、
お店自体は19:00から開店してます。
内容は、ヴァイオリン・サックス・ピアノによる演奏会。
3人でトリオをやることもあれば、ピアノとのデュオ、ソロなど様々な演奏形態で、クラシックからポピュラーまで様々な音楽をお届けします。
45分くらいのステージを3回、3人で20曲以上ご用意してあります。全てお聴きいただいても1000円です!(お食事やお飲み物は多分別料金となります。)
お店のウェブサイトもございます。
http://
是非お越しください。皆様にお会いできるのを楽しみにお待ちしております!
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どんなことをするにしても、必要以上に不必要なところで無駄な力が入っているとうまくいかないもの。
ということを知っている人は、うまい「脱力」を心がけている。
しかし、ときにそれは、逆に無駄な力を入れてしまうことに繋がることもある。
「脱力」とは、力を抜くことだから、まず力んだ状態があってのことではないかと思う。
つまり、最初から全く力を込めずにいた場合脱力ではないのではないかと。
そして、力を抜こう抜こうと思っているがゆえに、本人すら知らない間に逆に力んでしまう。
脱力をするのが苦手な人は、あまり脱力を気にしないで頑張ってみるのもひとつの手かもしれない。
脱力することが目的ではなく、成功することが目的で、そのために脱力が必要だと言ってるわけで、
つまり、脱力とは方法であって、結果ではない。
もちろん万人に通用することかどうかはわからないが、
まぁ、押してダメなら弾いてみよう。
なんちゃって♪
ということを知っている人は、うまい「脱力」を心がけている。
しかし、ときにそれは、逆に無駄な力を入れてしまうことに繋がることもある。
「脱力」とは、力を抜くことだから、まず力んだ状態があってのことではないかと思う。
つまり、最初から全く力を込めずにいた場合脱力ではないのではないかと。
そして、力を抜こう抜こうと思っているがゆえに、本人すら知らない間に逆に力んでしまう。
脱力をするのが苦手な人は、あまり脱力を気にしないで頑張ってみるのもひとつの手かもしれない。
脱力することが目的ではなく、成功することが目的で、そのために脱力が必要だと言ってるわけで、
つまり、脱力とは方法であって、結果ではない。
もちろん万人に通用することかどうかはわからないが、
まぁ、押してダメなら弾いてみよう。
なんちゃって♪
【第2回すみやマスタークラスコンサート】
2008年4月13日(日)13:30開場 14:00開演
静岡音楽館AOI8階ホール
チケット500円(全席自由)
第1部
ピアノ
・小林 可朋 ロンドニ長調(モーツァルト)
・青島 菜月 幻想即興曲(ショパン)
・塚本佳央理 インヴェンション14番(バッハ)、ソナタKv189h(モーツァルト)
・岡部 春花 インヴェンション3番(バッハ)、ソナチネOp.20 No.1第1楽章(クーラウ)
・中村 悠乃 かっこう(ダカン)
・橋本侑梨愛 イタリア協奏曲第1楽章(バッハ)
サクソフォン
・池谷 隼人 ガーシュインカクテル(ガーシュイン/真島俊夫)
第2部
ピアノ
・高村 弥生 デュポールのメヌエットによる九つの変奏曲(モーツァルト)
・赤池 幸子 即興曲Op.90 D.899第3番変ト長調(シューベルト)、愛の夢(リスト)
・岡田沙也佳 超絶技巧練習曲より 狩り(リスト)
ヴァイオリン
・池村 理果 序奏とロンドカプリチオーソ(サン=サーンス)
ピアノ
・中川真里子 幼子イエスの注ぐ20のまなざしより(メシアン)
是非お越しください。チケットをお求めの方はメールかコメントで!
2008年4月13日(日)13:30開場 14:00開演
静岡音楽館AOI8階ホール
チケット500円(全席自由)
第1部
ピアノ
・小林 可朋 ロンドニ長調(モーツァルト)
・青島 菜月 幻想即興曲(ショパン)
・塚本佳央理 インヴェンション14番(バッハ)、ソナタKv189h(モーツァルト)
・岡部 春花 インヴェンション3番(バッハ)、ソナチネOp.20 No.1第1楽章(クーラウ)
・中村 悠乃 かっこう(ダカン)
・橋本侑梨愛 イタリア協奏曲第1楽章(バッハ)
サクソフォン
・池谷 隼人 ガーシュインカクテル(ガーシュイン/真島俊夫)
第2部
ピアノ
・高村 弥生 デュポールのメヌエットによる九つの変奏曲(モーツァルト)
・赤池 幸子 即興曲Op.90 D.899第3番変ト長調(シューベルト)、愛の夢(リスト)
・岡田沙也佳 超絶技巧練習曲より 狩り(リスト)
ヴァイオリン
・池村 理果 序奏とロンドカプリチオーソ(サン=サーンス)
ピアノ
・中川真里子 幼子イエスの注ぐ20のまなざしより(メシアン)
是非お越しください。チケットをお求めの方はメールかコメントで!
クラシック音楽の中でも特に独奏曲の場合、カデンツァと呼ばれる部分を含む曲が多い。
カデンツァとは、無伴奏で自分の技巧を示すようなメロディーを自由に演奏する部分。
例えば、モーツァルトの協奏曲(コンチェルト)では、曲が終わりそうな頃にカデンツァが設定されているが、サックスのための楽曲のような現代音楽と決定的に違うのは、
古典的な音楽にはカデンツァの楽譜が書かれていないということ。
現代音楽にはカデンツァの楽譜が書かれている。
だから、演奏家本人に聞いたわけではないが、
例えばモーツァルトの協奏曲のカデンツァは、
その曲のモチーフ(主題、テーマ、動機など)を参考に予め楽譜を作っておくか、
本当にその場で即興的に演奏し、そのようなことをやった巨匠たちのカデンツァが楽譜(カデンツァのみの譜面)になって出版されているものを、僕らは演奏するということになるのではないかと思う。
現代音楽に近づけば近づくほどカデンツァは作曲者自身によって楽譜が書かれている。
例えばリストのピアノ曲には、技巧をこらした即興的でカデンツァのような部分が多く見受けられるが、最初から楽譜になっている。(演奏者によってはそのカデンツァを更に技巧的なものへと発展させて演奏することもあるようだ)
今回取り組んでいるデニゾフ作曲のソナタも、知らない人が聞けば最初から最後まで即興的なカデンツァに聞こえるかもしれない。
さらに、即興的な演奏と言うのは何もカデンツァや現代音楽に限るものではない。
例えばロマン派の音楽を演奏する場合でも、テンポの緩急などによってその音楽をより魅力的なものに変えるが、それも言ってみれば即興的といえよう。
導入はこれまで。ここからが本題だよ?
では、即興的な部分をうまく演奏するにはどうすればいいのか。
はじめて僕がサックスで取り組んだ曲は、アディオス・ノニーノ(A.ピアソラ作曲/須川展也シリーズ)だった。この曲も、いきなりカデンツァから始まる。当時はこのような楽譜をどう演奏すればいいかなどさっぱりわからなかった。
結論から言うと、カデンツァのような即興的な部分をうまく演奏するために最も重要なことは
テンポの緩急
だと思う。早くなったり遅くなったり、ということを繰り返すことで、まるで即興的に自由に演奏しているような印象を与える。
だから、テンポの緩急をつけるためにまず、
テンポを揺らさずに、一定のテンポで演奏してみる実験が必要である。
例えば、8分音符のあとに3連符が使われたり。これはテンポ通り演奏すれば、テンポがだんだん速くなったような印象を与える。これに少しだけテンポの緩急をつければかなり即興的になるのだ。
他にも、わざわざフェルマータのあとにタイでつながれている音。ただ長く伸ばすことが目的ならば必要のないもの。作曲者の何かのこだわりや意図があるのだから、演奏者はそれを考えなくてはならない。
カデンツァは一見自由に自分の感性に任せて演奏するもの、というイメージがあるかもしれないが、実はそうではない。特に、最初から楽譜が書かれているようなカデンツァの場合は。
ちなみに、今日載せた写真は、デニゾフのソナタの楽譜の一部。
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普通3連符というのは一般的に聞いたことがあるだろう。
8分音符は1拍に2つの音を入れるのに対し、3連符は1拍に3つの音を均等に入れて演奏する。
この写真の楽譜には、7:6連符という形になっているが、7つの音符を6つ分に収めて演奏して欲しいということ。つまり、通常の音符よりも少し短く、あるいは速く演奏することになる。
今回伴奏してくれるピアノの先生はいろんな伴奏をしているそうなのだが、あるサクソフォン奏者M氏のレッスンに伴奏でついていったときのことをいろいろ教えてくださったのだ。
このように7:6連符というのは作曲者のこだわりで、通常の曲(例えばロマン派の音楽など)にはaccel(だんだん速く)やrit(だんだん遅 く)のような指示が書かれているが、その度合いは人によって違う。そこでデニゾフは、そういう個人差をできるだけ減らそうと考えて使用したのがこのような 楽譜の書き方のスタイルで、拍子や複雑な連符を駆使することで、まるでテンポが変化したように感じるという心理を利用したのだ。このような書き方をすれ ば、テンポの変化に個人差が生じにくい(実際はテンポが変化しているのではなく、連符などを楽譜通り演奏することでテンポが変化しているように感じるのだ が)。
そう、この曲はデニゾフが自分のこだわりを細かいところにまで楽譜に込めた作品と言えるのだ。通常の曲のように演奏者の裁量に任せていろんな演奏があることを楽しんでもらいたいというよりは、デニゾフ自身がこのように演奏してください!という強い意志があるのだ。
ちなみに、この曲はロンデックスというサクソフォン奏者のために書かれた曲であるが、さきほど書いたM氏はまさにロンデックスのお弟子さんということで、かなり信憑性がある内容だと思っていいのだそうだ。
このように、即興的な演奏に大事なのは、くどいようだが
テンポの緩急。
よって、特定の音だけ妙に長かったり短かったり、一部分だけ妙に遅かったり早かったりするのではなく、だんだんとテンポが変化するようにしなければならない。
カデンツァとは、無伴奏で自分の技巧を示すようなメロディーを自由に演奏する部分。
例えば、モーツァルトの協奏曲(コンチェルト)では、曲が終わりそうな頃にカデンツァが設定されているが、サックスのための楽曲のような現代音楽と決定的に違うのは、
古典的な音楽にはカデンツァの楽譜が書かれていないということ。
現代音楽にはカデンツァの楽譜が書かれている。
だから、演奏家本人に聞いたわけではないが、
例えばモーツァルトの協奏曲のカデンツァは、
その曲のモチーフ(主題、テーマ、動機など)を参考に予め楽譜を作っておくか、
本当にその場で即興的に演奏し、そのようなことをやった巨匠たちのカデンツァが楽譜(カデンツァのみの譜面)になって出版されているものを、僕らは演奏するということになるのではないかと思う。
現代音楽に近づけば近づくほどカデンツァは作曲者自身によって楽譜が書かれている。
例えばリストのピアノ曲には、技巧をこらした即興的でカデンツァのような部分が多く見受けられるが、最初から楽譜になっている。(演奏者によってはそのカデンツァを更に技巧的なものへと発展させて演奏することもあるようだ)
今回取り組んでいるデニゾフ作曲のソナタも、知らない人が聞けば最初から最後まで即興的なカデンツァに聞こえるかもしれない。
さらに、即興的な演奏と言うのは何もカデンツァや現代音楽に限るものではない。
例えばロマン派の音楽を演奏する場合でも、テンポの緩急などによってその音楽をより魅力的なものに変えるが、それも言ってみれば即興的といえよう。
導入はこれまで。ここからが本題だよ?
では、即興的な部分をうまく演奏するにはどうすればいいのか。
はじめて僕がサックスで取り組んだ曲は、アディオス・ノニーノ(A.ピアソラ作曲/須川展也シリーズ)だった。この曲も、いきなりカデンツァから始まる。当時はこのような楽譜をどう演奏すればいいかなどさっぱりわからなかった。
結論から言うと、カデンツァのような即興的な部分をうまく演奏するために最も重要なことは
テンポの緩急
だと思う。早くなったり遅くなったり、ということを繰り返すことで、まるで即興的に自由に演奏しているような印象を与える。
だから、テンポの緩急をつけるためにまず、
テンポを揺らさずに、一定のテンポで演奏してみる実験が必要である。
例えば、8分音符のあとに3連符が使われたり。これはテンポ通り演奏すれば、テンポがだんだん速くなったような印象を与える。これに少しだけテンポの緩急をつければかなり即興的になるのだ。
他にも、わざわざフェルマータのあとにタイでつながれている音。ただ長く伸ばすことが目的ならば必要のないもの。作曲者の何かのこだわりや意図があるのだから、演奏者はそれを考えなくてはならない。
カデンツァは一見自由に自分の感性に任せて演奏するもの、というイメージがあるかもしれないが、実はそうではない。特に、最初から楽譜が書かれているようなカデンツァの場合は。
ちなみに、今日載せた写真は、デニゾフのソナタの楽譜の一部。
普通3連符というのは一般的に聞いたことがあるだろう。
8分音符は1拍に2つの音を入れるのに対し、3連符は1拍に3つの音を均等に入れて演奏する。
この写真の楽譜には、7:6連符という形になっているが、7つの音符を6つ分に収めて演奏して欲しいということ。つまり、通常の音符よりも少し短く、あるいは速く演奏することになる。
今回伴奏してくれるピアノの先生はいろんな伴奏をしているそうなのだが、あるサクソフォン奏者M氏のレッスンに伴奏でついていったときのことをいろいろ教えてくださったのだ。
このように7:6連符というのは作曲者のこだわりで、通常の曲(例えばロマン派の音楽など)にはaccel(だんだん速く)やrit(だんだん遅 く)のような指示が書かれているが、その度合いは人によって違う。そこでデニゾフは、そういう個人差をできるだけ減らそうと考えて使用したのがこのような 楽譜の書き方のスタイルで、拍子や複雑な連符を駆使することで、まるでテンポが変化したように感じるという心理を利用したのだ。このような書き方をすれ ば、テンポの変化に個人差が生じにくい(実際はテンポが変化しているのではなく、連符などを楽譜通り演奏することでテンポが変化しているように感じるのだ が)。
そう、この曲はデニゾフが自分のこだわりを細かいところにまで楽譜に込めた作品と言えるのだ。通常の曲のように演奏者の裁量に任せていろんな演奏があることを楽しんでもらいたいというよりは、デニゾフ自身がこのように演奏してください!という強い意志があるのだ。
ちなみに、この曲はロンデックスというサクソフォン奏者のために書かれた曲であるが、さきほど書いたM氏はまさにロンデックスのお弟子さんということで、かなり信憑性がある内容だと思っていいのだそうだ。
このように、即興的な演奏に大事なのは、くどいようだが
テンポの緩急。
よって、特定の音だけ妙に長かったり短かったり、一部分だけ妙に遅かったり早かったりするのではなく、だんだんとテンポが変化するようにしなければならない。
サックスという楽器を始めたきっかけは、高校生のサックスを聴いたことだったが、
その後初めてCDを聴いたのは、自分を含めその周りの人も恐らくミュール・・・ではなく須川氏だろうと思う。
その理由の一つは、単純にCDショップにおいてある数が、須川氏の方が多いから。
彼のCDは身近で手に入る中では一番多いし、手に入りやすい。
そして、クラシック音楽も、クラシックに詳しくない人に聴きやすいような吹き方をしている彼の演奏スタイルは、多くの人の心をつかんだ。
しかも背が小さいこと以外では結構ルックスもいい。
そんな須川氏に強い憧れを抱き、
彼の演奏した曲を自分も吹いてみたい、
あんな風に吹いてみたい、
と真似をしたこともあった。
しかし、あるとき気付いた。
「須川さんは二人もいらない。少なくとも彼が生きている間は。」
もちろん彼のように上手にカッコ良く吹ければ気持ちがいいし、
それはなかなか達成できない素晴らしいことだ。
これは一種のモノマネに似ていて、
モノマネを楽しむことが好きな僕にとっては、
モノマネの難しさも凄さも実感できる。
須川氏のモノマネをいくら頑張っても、同じようにはならない。
しかし、このようなことばかりを続けていると、いずれ言われることになる。
「須川さんっぽいね」
まぁ、一瞬嬉しいような気持ちになるのだが、
理想は
「他にはなかなかないあなたらしい演奏だったね」
と言われることなのではないだろうか。
これまで様々なアーティストの音楽を聴いてきた以上、
どうしても何か共通点が出てきてしまうのは仕方ないことだし、それが自然だと思うが、
出来ればアーティストの真似をするのではなく、その作品を忠実に演奏することに重点を置いた精神を常に忘れたくない。
と、大学で学んだ。
その後初めてCDを聴いたのは、自分を含めその周りの人も恐らくミュール・・・ではなく須川氏だろうと思う。
その理由の一つは、単純にCDショップにおいてある数が、須川氏の方が多いから。
彼のCDは身近で手に入る中では一番多いし、手に入りやすい。
そして、クラシック音楽も、クラシックに詳しくない人に聴きやすいような吹き方をしている彼の演奏スタイルは、多くの人の心をつかんだ。
しかも背が小さいこと以外では結構ルックスもいい。
そんな須川氏に強い憧れを抱き、
彼の演奏した曲を自分も吹いてみたい、
あんな風に吹いてみたい、
と真似をしたこともあった。
しかし、あるとき気付いた。
「須川さんは二人もいらない。少なくとも彼が生きている間は。」
もちろん彼のように上手にカッコ良く吹ければ気持ちがいいし、
それはなかなか達成できない素晴らしいことだ。
これは一種のモノマネに似ていて、
モノマネを楽しむことが好きな僕にとっては、
モノマネの難しさも凄さも実感できる。
須川氏のモノマネをいくら頑張っても、同じようにはならない。
しかし、このようなことばかりを続けていると、いずれ言われることになる。
「須川さんっぽいね」
まぁ、一瞬嬉しいような気持ちになるのだが、
理想は
「他にはなかなかないあなたらしい演奏だったね」
と言われることなのではないだろうか。
これまで様々なアーティストの音楽を聴いてきた以上、
どうしても何か共通点が出てきてしまうのは仕方ないことだし、それが自然だと思うが、
出来ればアーティストの真似をするのではなく、その作品を忠実に演奏することに重点を置いた精神を常に忘れたくない。
と、大学で学んだ。
昨日は、8日に行われるサクソフォン・ソロコンサートのリハーサルがあった。
僕は、伴奏者などの都合で演奏しなかったが、後輩たちの演奏を聴いていろいろなことを学んだ。
いろいろなことと言っても、基本的に共通しているのは、
『いい音楽(演奏)にするためにどうしたらいいか』
ということ。
さらに少し深めていくと、
1.どうしたら音楽が自然に聞こえるか。
2.どうしたら音楽がより魅力的で素敵になるか。
という2つの柱があると思う。
ある程度の実力を身につけるまでは、1を重点的に鍛えるのがいい。
うまくない演奏には、どこか不自然だ、何か違和感がある、という感じがするもの。
その原因としてよくあるのは、
・楽譜に書かれた音やリズムを間違える
・楽譜に書かれたアーティキュレーションや強弱を間違える
・ビブラートの幅や数などが不自然
・音域や音量によって無意識のうちに音色が違ってしまう
・発音や音の処理が無意識になっている
・音程が悪い
といったところだろうか。僕が静大に入学してこれまで何度も先生に言われた『楽譜通り吹けばいいんだ』という言葉には、今挙げた問題をクリアしろ、という意味が含まれていると、僕は解釈している。
これらの問題を解決するのには、よく芸術の世界で叫ばれる才能やセンスはあまり必要がない。冷静に、そして客観的に、注意深く自分の音を聴いて、不自然さや違和感を見出せるかどうかにかかっている。
しかしそうはいっても、これらの問題は自分を含め多くの人がなかなか達成できない目標であり、たいてい見落とし(聞き逃し)があるものだ。
逆に、これを解決すれば、かなりいい音楽(演奏)になる。というより、これらを解決すればいい音楽(演奏)になるように作曲者は曲を作っている。
次に、二つ目の柱を達成できない場合、どうすればいいのか。
それは、次の3点の問題を解決する必要がある。
・基本的な音色そのものが良くない
・音色やビブラートを、その場面によって使い分けができない
・作曲者の情報や楽譜から、その曲の分析をし、フレーズや構成を考えながら、表現できない
これらは、多少才能やセンスが助けてくれるが、まだ理論的にいける内容である。
また、先生などのレッスンで気付く場合も多い。
さらに、自分自身の歌心や感情など、奏者の個性などを付加する場合があるが、
これはやりすぎると、自分の演奏に納得してくれない聴衆が増える可能性が高くなるので、バランスが大切だ。
昨日の後輩たちの演奏は、こう言っては失礼かもしれないが、
予想以上にうまく演奏している人が何人かいて、嬉しい気持ちになった。
いつの間にあんなにうまくなったんだろう。秘密の特訓でもしたのだろうか。
自分も頑張らなければ、と自分を奮い立たせる要因にもなった。
また、いろんな曲を聴いて、改めてその曲の良さを実感するなど、
単に上手下手という次元ではなく、
純粋に音楽を楽しんで聴くことができた。
本番まであと一週間。
この時間内にさらに実力を伸ばす者、今十分にある実力を安定させる者、考えすぎて一種のスランプ状態に陥ってしまう者など様々だとは思うが、
演奏者達はみんな向上心があってとてもいい雰囲気。
本番が楽しみだ。
当日は自分の練習もしなくてはならないし、音出しやリハーサルなどもあるが、
出来るだけ客席で後輩たちの演奏を聴きたい。
いや、後輩だからとか自分が卒業するからということではなく、
単に純粋に興味があって聴きたい。
ようやく最近、サックスが本当に好きになってきつつあるのだろうか。
これだけサックスの近現代音楽を聴いても、思った以上に疲れなかったのは、そこに理由があるのかもしれない。
僕は、伴奏者などの都合で演奏しなかったが、後輩たちの演奏を聴いていろいろなことを学んだ。
いろいろなことと言っても、基本的に共通しているのは、
『いい音楽(演奏)にするためにどうしたらいいか』
ということ。
さらに少し深めていくと、
1.どうしたら音楽が自然に聞こえるか。
2.どうしたら音楽がより魅力的で素敵になるか。
という2つの柱があると思う。
ある程度の実力を身につけるまでは、1を重点的に鍛えるのがいい。
うまくない演奏には、どこか不自然だ、何か違和感がある、という感じがするもの。
その原因としてよくあるのは、
・楽譜に書かれた音やリズムを間違える
・楽譜に書かれたアーティキュレーションや強弱を間違える
・ビブラートの幅や数などが不自然
・音域や音量によって無意識のうちに音色が違ってしまう
・発音や音の処理が無意識になっている
・音程が悪い
といったところだろうか。僕が静大に入学してこれまで何度も先生に言われた『楽譜通り吹けばいいんだ』という言葉には、今挙げた問題をクリアしろ、という意味が含まれていると、僕は解釈している。
これらの問題を解決するのには、よく芸術の世界で叫ばれる才能やセンスはあまり必要がない。冷静に、そして客観的に、注意深く自分の音を聴いて、不自然さや違和感を見出せるかどうかにかかっている。
しかしそうはいっても、これらの問題は自分を含め多くの人がなかなか達成できない目標であり、たいてい見落とし(聞き逃し)があるものだ。
逆に、これを解決すれば、かなりいい音楽(演奏)になる。というより、これらを解決すればいい音楽(演奏)になるように作曲者は曲を作っている。
次に、二つ目の柱を達成できない場合、どうすればいいのか。
それは、次の3点の問題を解決する必要がある。
・基本的な音色そのものが良くない
・音色やビブラートを、その場面によって使い分けができない
・作曲者の情報や楽譜から、その曲の分析をし、フレーズや構成を考えながら、表現できない
これらは、多少才能やセンスが助けてくれるが、まだ理論的にいける内容である。
また、先生などのレッスンで気付く場合も多い。
さらに、自分自身の歌心や感情など、奏者の個性などを付加する場合があるが、
これはやりすぎると、自分の演奏に納得してくれない聴衆が増える可能性が高くなるので、バランスが大切だ。
昨日の後輩たちの演奏は、こう言っては失礼かもしれないが、
予想以上にうまく演奏している人が何人かいて、嬉しい気持ちになった。
いつの間にあんなにうまくなったんだろう。秘密の特訓でもしたのだろうか。
自分も頑張らなければ、と自分を奮い立たせる要因にもなった。
また、いろんな曲を聴いて、改めてその曲の良さを実感するなど、
単に上手下手という次元ではなく、
純粋に音楽を楽しんで聴くことができた。
本番まであと一週間。
この時間内にさらに実力を伸ばす者、今十分にある実力を安定させる者、考えすぎて一種のスランプ状態に陥ってしまう者など様々だとは思うが、
演奏者達はみんな向上心があってとてもいい雰囲気。
本番が楽しみだ。
当日は自分の練習もしなくてはならないし、音出しやリハーサルなどもあるが、
出来るだけ客席で後輩たちの演奏を聴きたい。
いや、後輩だからとか自分が卒業するからということではなく、
単に純粋に興味があって聴きたい。
ようやく最近、サックスが本当に好きになってきつつあるのだろうか。
これだけサックスの近現代音楽を聴いても、思った以上に疲れなかったのは、そこに理由があるのかもしれない。
最近は何かの伴奏でピアノを弾くことが多い。というか多すぎ!!(笑)
でも、伴奏をすることで得るものは大きいので、その曲がどんなに難しくて、自分がどんなに忙しくてもつい引き受けてしまう。自分の悪い癖だ。
さて、大学生活の中で得た「伴奏論」を紹介する。
まぁ、「伴奏論」と言うと何やら難しそうなことを書き出しそうな気がするが、そんなに理論的で立派なことではない。
伴奏においてよくある間違ったイメージは、
タイミングを揃える、ということを第一に考えること。
これを大事に考えている人は、
タイミングが合えばうまい伴奏、という考えになってしまう。
しかし、ソリストが演奏しやすい伴奏は、単にタイミングが合えばいいというものではない。
うまい伴奏は、ソリストの演奏しようとしている基盤となる音楽観を表現すること。そして、自分が消極的になるとか積極的になるとか、そういう次元 の話ではなく、自分のパートもその音楽(曲)の一部になる伴奏。だから、伴奏はソリストを輝かせるための脇役とか裏方、ということではなく、同じ演奏者と して考える。
つまり曲の中で、伴奏が目立つところではソリストはでしゃばらないし、その逆も言える。
それは、どちらが主役とかそういう話ではなく、その音楽のその場面ではこの音が欲しいから、という理由による。
次に、ソリストと伴奏者にある程度レベルの差がある場合。
例えば、ソリストの演奏力が伴奏者の演奏力に劣る場合、伴奏者は音楽表現を明確に示してあげることで、ソリストの潜在能力を引き出すことが可能である。
例えば、学校で先生が生徒たちの合唱の伴奏をするときなどに、生徒たちの歌声を聞くために伴奏を小さめに弾くということではなく、例えば曲の中で 盛り上がる場面ではむしろ生徒よりもクレッシェンドし、伴奏が曲を盛り上げることで生徒たちもそれに合わせて盛り上がってくるものだ。静かな雰囲気にする ときも、伴奏が少し大げさにディミヌエンドしてあげればそれにつられて歌も合わせてくる。
ソリストの方が演奏力が上の場合、たいてい伴奏者はその曲をどういう風に演奏したらいいのかが見えてきていないケースが多いので、伴奏者はソリ ストのやろうとしている音楽を感じ取ることに専念しなければならない。このとき、ソリストはメロディーの歌い方や息づかい、場合によってはボディーアク ションなどでやろうとしている音楽を伴奏者に明確に表現し伝えてあげることで伴奏者はついてくる。
このように、うまく伴奏するためのコツはソリストのやろうとしている音楽を感じ取ってそれを表現する、ということにある。(くどいようだが、これは単にタイミングを揃えるなどというレベルのではない)
では、ソリストのやろうとしている音楽を掴むにはどうしたらいいのか。その練習方法は一人でもできる割と簡単な方法だ。
まず、何でもいいので好きなCDを用意する。
そして、その曲に合わせて指揮棒を振ってみるのだ。
ある程度の能力があれば、別にプロフェッショナルな指揮法を身につけていなくてもいい。
この練習で、ソリスト(あるいは演奏者)がどのようなテンポ変化をしたいのか、どのような雰囲気作りをしたいのかなどがつかめるのではないだろうか。
このとき、映像などでオーケストラを指揮している状況を鑑賞するという経験が多いと良い。
伴奏と一言で言っても、例えば「フルートとピアノのための~・・・」という曲ではフルートもピアノも主役なので、アンサンブルと言ったほうがいいかもしれない。この場合は特に、単に伴奏で後ろからサポートなどと言っていてはいけない。
また、コンチェルト(協奏曲)のうように、オーケストラや吹奏楽をバックに演奏されるスタイルでは、割と伴奏という役割が多いが、それでも単にあわせるだけの伴奏であってはならない。
むしろ、状況によっては、合わなくてもいい部分もある。
アンサンブルは、お互いの音楽的会話なので、お互いが主張し合ったり譲り合ったりしないと会話自体が成り立たないのだ。
相手の話を良く聞き、それに対して自分も応える。これぞアンサンブルといえる。
でも、伴奏をすることで得るものは大きいので、その曲がどんなに難しくて、自分がどんなに忙しくてもつい引き受けてしまう。自分の悪い癖だ。
さて、大学生活の中で得た「伴奏論」を紹介する。
まぁ、「伴奏論」と言うと何やら難しそうなことを書き出しそうな気がするが、そんなに理論的で立派なことではない。
伴奏においてよくある間違ったイメージは、
タイミングを揃える、ということを第一に考えること。
これを大事に考えている人は、
タイミングが合えばうまい伴奏、という考えになってしまう。
しかし、ソリストが演奏しやすい伴奏は、単にタイミングが合えばいいというものではない。
うまい伴奏は、ソリストの演奏しようとしている基盤となる音楽観を表現すること。そして、自分が消極的になるとか積極的になるとか、そういう次元 の話ではなく、自分のパートもその音楽(曲)の一部になる伴奏。だから、伴奏はソリストを輝かせるための脇役とか裏方、ということではなく、同じ演奏者と して考える。
つまり曲の中で、伴奏が目立つところではソリストはでしゃばらないし、その逆も言える。
それは、どちらが主役とかそういう話ではなく、その音楽のその場面ではこの音が欲しいから、という理由による。
次に、ソリストと伴奏者にある程度レベルの差がある場合。
例えば、ソリストの演奏力が伴奏者の演奏力に劣る場合、伴奏者は音楽表現を明確に示してあげることで、ソリストの潜在能力を引き出すことが可能である。
例えば、学校で先生が生徒たちの合唱の伴奏をするときなどに、生徒たちの歌声を聞くために伴奏を小さめに弾くということではなく、例えば曲の中で 盛り上がる場面ではむしろ生徒よりもクレッシェンドし、伴奏が曲を盛り上げることで生徒たちもそれに合わせて盛り上がってくるものだ。静かな雰囲気にする ときも、伴奏が少し大げさにディミヌエンドしてあげればそれにつられて歌も合わせてくる。
ソリストの方が演奏力が上の場合、たいてい伴奏者はその曲をどういう風に演奏したらいいのかが見えてきていないケースが多いので、伴奏者はソリ ストのやろうとしている音楽を感じ取ることに専念しなければならない。このとき、ソリストはメロディーの歌い方や息づかい、場合によってはボディーアク ションなどでやろうとしている音楽を伴奏者に明確に表現し伝えてあげることで伴奏者はついてくる。
このように、うまく伴奏するためのコツはソリストのやろうとしている音楽を感じ取ってそれを表現する、ということにある。(くどいようだが、これは単にタイミングを揃えるなどというレベルのではない)
では、ソリストのやろうとしている音楽を掴むにはどうしたらいいのか。その練習方法は一人でもできる割と簡単な方法だ。
まず、何でもいいので好きなCDを用意する。
そして、その曲に合わせて指揮棒を振ってみるのだ。
ある程度の能力があれば、別にプロフェッショナルな指揮法を身につけていなくてもいい。
この練習で、ソリスト(あるいは演奏者)がどのようなテンポ変化をしたいのか、どのような雰囲気作りをしたいのかなどがつかめるのではないだろうか。
このとき、映像などでオーケストラを指揮している状況を鑑賞するという経験が多いと良い。
伴奏と一言で言っても、例えば「フルートとピアノのための~・・・」という曲ではフルートもピアノも主役なので、アンサンブルと言ったほうがいいかもしれない。この場合は特に、単に伴奏で後ろからサポートなどと言っていてはいけない。
また、コンチェルト(協奏曲)のうように、オーケストラや吹奏楽をバックに演奏されるスタイルでは、割と伴奏という役割が多いが、それでも単にあわせるだけの伴奏であってはならない。
むしろ、状況によっては、合わなくてもいい部分もある。
アンサンブルは、お互いの音楽的会話なので、お互いが主張し合ったり譲り合ったりしないと会話自体が成り立たないのだ。
相手の話を良く聞き、それに対して自分も応える。これぞアンサンブルといえる。
現代音楽は、いわゆるクラシック音楽と少しだけ考え方を変えて取り組まなければならないと思う。
現代音楽は、従来のクラシック音楽よりも、効果音的な要素や即興的な要素、
そして、音(音程・音色・音の長さなど)の組み合わせによって、今までになかった何かを表現するために様々な試みがなされていることなどが強く出ている。
このような音楽をクリアするためには、大きく次の3つの柱を重要と考える。
一つ目は現代奏法の会得。
現代音楽にはこれまでのクラシック音楽にはなかった効果を得るために、現代奏法を盛り込んだ作品が非常に多い。もしそのような曲を扱うのであれば、現代奏法はできなくてはならない。
音楽は現代ものだけではないし、それよりもクラシカルなメロディーをより美しく聴かせるような練習の方が大事だ、と言って現代奏法の会得へ向けての練習をしないというのは良くない。
もちろん、そのようなメロディーを歌う訓練も怠ってはならないが、現代奏法はできるに越したことはないので、興味が芽生えた時点でそれを妨げるようなことがあってはならないし、興味がなくなるまで絶えず訓練を続けるべきである。
二つ目は読譜。譜面を読んで、その通りに演奏するという一見簡単そうなことが、現代音楽ではそうも行かなくなる。
よくぶち当たる壁は拍子。4拍子だったはずなのに急に3拍子になるなどの変拍子、3+2で感じるような5拍子などの混合拍子など。
更には、32分の10拍子などという複雑な拍子が出てきたときに、楽譜とどう向き合うか。
これは、頭をいかに働かせて工夫して音楽を捉えるかにかかっています。
他にも○○連符もなかなか手強いです。
それから微分音(1/4フラットなど)や重音(同時に二つ以上の音を鳴らす)。木管楽器では、微分音や重音は特定の運指で出ることもあるが、それを記憶するのは簡単ではない。
さて、楽譜どおり演奏できるようになったら最後の柱。
いかに効果的にその曲を仕上げるか。
漠然としているが、現代的な雰囲気をかもし出すには、楽譜に書かれた音をどれだけ効果的に演奏するかにかかっている。
たしかに楽譜どおり演奏するだけでもそれっぽくはなるが、その音をより目指す雰囲気に近づけようとすることによってその曲は一層現代らしさを増し、作曲者をも唸らせるような演奏になっていくはずなのだ。
そのために演奏者は、その音楽を自分の中で消化して、その魅力や面白さを体感し、楽しまなければならない。
と、現代音楽の経験がまだ浅い若造がデニゾフ作曲のソナタを練習していて感じた。
今日は夜遅くまでデニゾフをさらった。
腰をすえて時間をかけてじっくりやらないと、一筋縄ではいかない曲だということを最近痛感する。
ここ最近、割といろんなことを平行して付け焼刃でやってきて、どれも全力を尽くしきれていなかったように思うが、デニゾフだけは、こちらとしても挑戦者として、全力でかからないとこなせないように思えてきた。
ただ、デニゾフは楽器を持って練習だけしていても練習にならない曲。替え指のチェックはもちろん、サックスとピアノにおける拍や音などの仕組みを、スコアを見て把握するという作業をしておかなければならない。
さて、今日は久しぶりにメトロノームに頼っての練習。これを使えば、使わなかったときよりも数倍早くうまくなるということに改めて気づく。別に何 か特別なことを意識しながらの練習でなくても、ただぼうっと練習するだけでも、メトロノームのある場合とない場合では、効率が全然違う。
確か前回の記事はいくつかの演奏会のお知らせで、まだ一つ終わってないものがあるのだが、
また演奏の機会が増えてきそうなので、それを改めてお知らせする前に、今回少し別のネタでこのブログを更新していこうと思って書いてみた。
現代音楽は、従来のクラシック音楽よりも、効果音的な要素や即興的な要素、
そして、音(音程・音色・音の長さなど)の組み合わせによって、今までになかった何かを表現するために様々な試みがなされていることなどが強く出ている。
このような音楽をクリアするためには、大きく次の3つの柱を重要と考える。
一つ目は現代奏法の会得。
現代音楽にはこれまでのクラシック音楽にはなかった効果を得るために、現代奏法を盛り込んだ作品が非常に多い。もしそのような曲を扱うのであれば、現代奏法はできなくてはならない。
音楽は現代ものだけではないし、それよりもクラシカルなメロディーをより美しく聴かせるような練習の方が大事だ、と言って現代奏法の会得へ向けての練習をしないというのは良くない。
もちろん、そのようなメロディーを歌う訓練も怠ってはならないが、現代奏法はできるに越したことはないので、興味が芽生えた時点でそれを妨げるようなことがあってはならないし、興味がなくなるまで絶えず訓練を続けるべきである。
二つ目は読譜。譜面を読んで、その通りに演奏するという一見簡単そうなことが、現代音楽ではそうも行かなくなる。
よくぶち当たる壁は拍子。4拍子だったはずなのに急に3拍子になるなどの変拍子、3+2で感じるような5拍子などの混合拍子など。
更には、32分の10拍子などという複雑な拍子が出てきたときに、楽譜とどう向き合うか。
これは、頭をいかに働かせて工夫して音楽を捉えるかにかかっています。
他にも○○連符もなかなか手強いです。
それから微分音(1/4フラットなど)や重音(同時に二つ以上の音を鳴らす)。木管楽器では、微分音や重音は特定の運指で出ることもあるが、それを記憶するのは簡単ではない。
さて、楽譜どおり演奏できるようになったら最後の柱。
いかに効果的にその曲を仕上げるか。
漠然としているが、現代的な雰囲気をかもし出すには、楽譜に書かれた音をどれだけ効果的に演奏するかにかかっている。
たしかに楽譜どおり演奏するだけでもそれっぽくはなるが、その音をより目指す雰囲気に近づけようとすることによってその曲は一層現代らしさを増し、作曲者をも唸らせるような演奏になっていくはずなのだ。
そのために演奏者は、その音楽を自分の中で消化して、その魅力や面白さを体感し、楽しまなければならない。
と、現代音楽の経験がまだ浅い若造がデニゾフ作曲のソナタを練習していて感じた。
今日は夜遅くまでデニゾフをさらった。
腰をすえて時間をかけてじっくりやらないと、一筋縄ではいかない曲だということを最近痛感する。
ここ最近、割といろんなことを平行して付け焼刃でやってきて、どれも全力を尽くしきれていなかったように思うが、デニゾフだけは、こちらとしても挑戦者として、全力でかからないとこなせないように思えてきた。
ただ、デニゾフは楽器を持って練習だけしていても練習にならない曲。替え指のチェックはもちろん、サックスとピアノにおける拍や音などの仕組みを、スコアを見て把握するという作業をしておかなければならない。
さて、今日は久しぶりにメトロノームに頼っての練習。これを使えば、使わなかったときよりも数倍早くうまくなるということに改めて気づく。別に何 か特別なことを意識しながらの練習でなくても、ただぼうっと練習するだけでも、メトロノームのある場合とない場合では、効率が全然違う。
確か前回の記事はいくつかの演奏会のお知らせで、まだ一つ終わってないものがあるのだが、
また演奏の機会が増えてきそうなので、それを改めてお知らせする前に、今回少し別のネタでこのブログを更新していこうと思って書いてみた。
意外と!このブログ見ている人がいるということなので、演奏予定でも更新しておきます♪
第14回午後の音楽発表会
日程:2007年12月15日(土)13:00開演
場所:男女共同参画センター「あざれあ」小ホール
入場無料
演奏曲:
ショパン作曲 スケルツォ第2番(ピアノソロ)
サンジュレー作曲 協奏的二重奏曲(サクソフォン・デュオ)
ホルンサロンコンサート
日程:2007年12月22日(土)14:00開演
場所:男女共同参画センター「あざれあ」小ホール
入場無料(要整理券)
演奏曲:
R.シュトラウス作曲 コンチェルト第1番
W.A.モーツァルト作曲 コンチェルト第1番
その他・・・
僕はピアノ伴奏を務めます。
第36回新春音楽会
日程:2008年1月4日(金)13:00開演
場所:藤枝市民会館ホール
チケット:普通券500円 ペア券800円
ガーシュイン作曲/真島俊夫編曲 ガーシュインカクテル(サクソフォンソロ)
演奏順は最後です。
第11回サクソフォンソロコンサート
日程:2008年3月8日(土)
場所:静岡音楽館AOI
入場無料
静岡大学と常葉学園短期大学のサクソフォン専攻の学生による、サクソフォンソロの演奏会!
静岡ではなかなか珍しい曲が勢ぞろい!
僕は、デニゾフ作曲 アルトサクソフォンとピアノのためのソナタ を演奏する予定です。
演奏順は最後です。
詳細が知りたい方はこちらまでメールをお送りください。
第14回午後の音楽発表会
日程:2007年12月15日(土)13:00開演
場所:男女共同参画センター「あざれあ」小ホール
入場無料
演奏曲:
ショパン作曲 スケルツォ第2番(ピアノソロ)
サンジュレー作曲 協奏的二重奏曲(サクソフォン・デュオ)
ホルンサロンコンサート
日程:2007年12月22日(土)14:00開演
場所:男女共同参画センター「あざれあ」小ホール
入場無料(要整理券)
演奏曲:
R.シュトラウス作曲 コンチェルト第1番
W.A.モーツァルト作曲 コンチェルト第1番
その他・・・
僕はピアノ伴奏を務めます。
第36回新春音楽会
日程:2008年1月4日(金)13:00開演
場所:藤枝市民会館ホール
チケット:普通券500円 ペア券800円
ガーシュイン作曲/真島俊夫編曲 ガーシュインカクテル(サクソフォンソロ)
演奏順は最後です。
第11回サクソフォンソロコンサート
日程:2008年3月8日(土)
場所:静岡音楽館AOI
入場無料
静岡大学と常葉学園短期大学のサクソフォン専攻の学生による、サクソフォンソロの演奏会!
静岡ではなかなか珍しい曲が勢ぞろい!
僕は、デニゾフ作曲 アルトサクソフォンとピアノのためのソナタ を演奏する予定です。
演奏順は最後です。
詳細が知りたい方はこちらまでメールをお送りください。
今日も明日も練習時間はあまり取れない。バイトなどで。
なので、空いている時間を見つけてデニゾフ作曲のソナタ楽譜を眺めた。
実はデニゾフのソナタ、そのうち演奏します。詳細はまた後日。
この曲は、小節ごとに拍子が変わったり、変な連符があったりと、拍子やリズムが複雑に絡み合っている。
今日はバイトの合間にリズムの分析をした。他にも、運指を考えたりすることもあるが、今日はその時間は取れなかった。
しかし、あの即興的な音楽でも、楽譜を眺めてみると割りとリズムが見えてくる。
単に気の赴くままに何となく即興だ!とか言って吹くのではなく、ちゃんと楽譜通り吹くことができるし、そのようにすればデタラメではない即興演奏の雰囲気が伝わるものだ。
クレストンという作曲家・オルガン奏者の作る曲は、変拍子(コロコロ拍子が変わる)の曲に聞こえるが、実は単なる2拍子、などという楽譜の書き方をしてくれているので助かる。
デニゾフは違う。聴いていても楽譜も変拍子。
近づきがたい。
ちなみに、楽譜の裏に書いてある作曲者プロフィールを日本語に訳してみたところ、
デニゾフは数学を勉強していたとのこと。
あっだからこんな意地悪で数学的な楽譜を書いたのかな?
なぁんて思ったり。
ある先生は
「CDの真似をするのではなく、作曲家の真似をする。例えば、モーツァルトを弾く演奏家の真似ではなく、モーツァルトの真似をする。モーツァルトらしさを追究する。」 ・・・たしかに。
ある先生は
「CDの真似をしようとしても、完全に真似ることは不可能。必ず奏者の個性が出る。」 ・・・たしかに。
ある先生は
「誰かの真似をしても意味がない。だってその人はもうすでにいるんだから。二人も同じ演奏する人は必要ない。」 ・・・たしかに。
楽譜からデニゾフの作風を感じ、できることならデニゾフの他の作品を聴いて、
デニゾフの雰囲気を全身で感じる。
だから、イベールの室内小協奏曲(サクソフォンのための作品)を演奏するときは、
イベールの他の作品(サクソフォンでは「物語」という曲が有名、他にもフルートのために書かれた協奏曲は名作)をできるだけ聴くとか。
なぁんて、いろんな先生の受け売りで理屈では語れるけど、なかなか実践に結びつかないもので、、、。
なので、空いている時間を見つけてデニゾフ作曲のソナタ楽譜を眺めた。
実はデニゾフのソナタ、そのうち演奏します。詳細はまた後日。
この曲は、小節ごとに拍子が変わったり、変な連符があったりと、拍子やリズムが複雑に絡み合っている。
今日はバイトの合間にリズムの分析をした。他にも、運指を考えたりすることもあるが、今日はその時間は取れなかった。
しかし、あの即興的な音楽でも、楽譜を眺めてみると割りとリズムが見えてくる。
単に気の赴くままに何となく即興だ!とか言って吹くのではなく、ちゃんと楽譜通り吹くことができるし、そのようにすればデタラメではない即興演奏の雰囲気が伝わるものだ。
クレストンという作曲家・オルガン奏者の作る曲は、変拍子(コロコロ拍子が変わる)の曲に聞こえるが、実は単なる2拍子、などという楽譜の書き方をしてくれているので助かる。
デニゾフは違う。聴いていても楽譜も変拍子。
近づきがたい。
ちなみに、楽譜の裏に書いてある作曲者プロフィールを日本語に訳してみたところ、
デニゾフは数学を勉強していたとのこと。
あっだからこんな意地悪で数学的な楽譜を書いたのかな?
なぁんて思ったり。
ある先生は
「CDの真似をするのではなく、作曲家の真似をする。例えば、モーツァルトを弾く演奏家の真似ではなく、モーツァルトの真似をする。モーツァルトらしさを追究する。」 ・・・たしかに。
ある先生は
「CDの真似をしようとしても、完全に真似ることは不可能。必ず奏者の個性が出る。」 ・・・たしかに。
ある先生は
「誰かの真似をしても意味がない。だってその人はもうすでにいるんだから。二人も同じ演奏する人は必要ない。」 ・・・たしかに。
楽譜からデニゾフの作風を感じ、できることならデニゾフの他の作品を聴いて、
デニゾフの雰囲気を全身で感じる。
だから、イベールの室内小協奏曲(サクソフォンのための作品)を演奏するときは、
イベールの他の作品(サクソフォンでは「物語」という曲が有名、他にもフルートのために書かれた協奏曲は名作)をできるだけ聴くとか。
なぁんて、いろんな先生の受け売りで理屈では語れるけど、なかなか実践に結びつかないもので、、、。
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プロフィール
HN:
池谷隼人
年齢:
39
HP:
性別:
男性
誕生日:
1985/07/26
職業:
演奏家・指導者
趣味:
睡眠
プロフィール:
5歳よりヤマハ音楽教室へ通い、ピアノ奏法に加えて楽典やソルフェージュ、作曲などを学び、13歳でサクソフォンと出会う。
第3~4回静岡ピアノオーディション合格し、受賞者記念発表会に出演。
第14回管楽器個人重奏コンテスト高校生の部 東海大会第2位、中日新聞社長賞を受賞。
第2回ルーマニア国際音楽コンクール管楽器部門第3位を受賞。旧東京音楽学校奏楽堂で開催された入賞者披露演奏会ではバラード(トマジ作曲)を演奏する。
第36回新人演奏会オーディション合格、審査員特別賞を受賞。(東京国際芸術協会)第36回新人演奏会では室内小協奏曲(イベール作曲)を演奏する。
第1回ブルクハルト国際音楽コンクールで1~3位なしの審査員賞を受賞。(東京国際芸術協会)
第25回日本管打楽器コンクールセミファイナリスト。
第15回浜松国際管楽器アカデミー&フェスティバルに受講生として参加、選抜受講生によるプレミアムコンサートに出演。
現在、ピアノ伴奏をしながらサクソフォンの演奏活動および後進の指導にあたる。
ソレイユカルテットアルトサクソフォン奏者
トリオ「湊」のサクソフォン奏者兼アレンジャーとして活動中。
第3~4回静岡ピアノオーディション合格し、受賞者記念発表会に出演。
第14回管楽器個人重奏コンテスト高校生の部 東海大会第2位、中日新聞社長賞を受賞。
第2回ルーマニア国際音楽コンクール管楽器部門第3位を受賞。旧東京音楽学校奏楽堂で開催された入賞者披露演奏会ではバラード(トマジ作曲)を演奏する。
第36回新人演奏会オーディション合格、審査員特別賞を受賞。(東京国際芸術協会)第36回新人演奏会では室内小協奏曲(イベール作曲)を演奏する。
第1回ブルクハルト国際音楽コンクールで1~3位なしの審査員賞を受賞。(東京国際芸術協会)
第25回日本管打楽器コンクールセミファイナリスト。
第15回浜松国際管楽器アカデミー&フェスティバルに受講生として参加、選抜受講生によるプレミアムコンサートに出演。
現在、ピアノ伴奏をしながらサクソフォンの演奏活動および後進の指導にあたる。
ソレイユカルテットアルトサクソフォン奏者
トリオ「湊」のサクソフォン奏者兼アレンジャーとして活動中。
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スケジュール
・2013/ 3/ 3(日)
静岡音楽館AOI
北山敦康サクソフォンリサイタル
・2013/ 3/ 9(土)
小金井市民交流センター大ホール
Monsieur KUDACCHI~サクソフォンの世界~
・2013/ 3/27(水)
静岡市民文化会館中ホール
静岡高校吹奏楽部 第35回定期演奏会(サクソフォンゲスト出演)
静岡音楽館AOI
北山敦康サクソフォンリサイタル
・2013/ 3/ 9(土)
小金井市民交流センター大ホール
Monsieur KUDACCHI~サクソフォンの世界~
・2013/ 3/27(水)
静岡市民文化会館中ホール
静岡高校吹奏楽部 第35回定期演奏会(サクソフォンゲスト出演)
使用楽器
<Soprano Saxophone>
楽器:YANAGISAWA S992PGP(ネック:銀製PGP「#195」)
マウスピース:Yanagisawa #7
リガチャー:SELMER ピンクゴールドメッキ
リード:Vandoren Traditional 3・1/2
<Alto Saxophone>
楽器:YANAGISAWA A9937PGP
マウスピース:Vandoren A28
リガチャー:魔法のリガチャン、Woodstone ピンクゴールド
リード:Vandoren Traditional 3, 3 1/2
<Tenor Saxophone>
楽器:YANAGISAWA T992 (ネック:管体シルバー、ピンクゴールドメッキ)
マウスピース:Vandoren T20
リガチャー:BG Traditional
リード:Vandoren Traditional 3 1/2
楽器:YANAGISAWA S992PGP(ネック:銀製PGP「#195」)
マウスピース:Yanagisawa #7
リガチャー:SELMER ピンクゴールドメッキ
リード:Vandoren Traditional 3・1/2
<Alto Saxophone>
楽器:YANAGISAWA A9937PGP
マウスピース:Vandoren A28
リガチャー:魔法のリガチャン、Woodstone ピンクゴールド
リード:Vandoren Traditional 3, 3 1/2
<Tenor Saxophone>
楽器:YANAGISAWA T992 (ネック:管体シルバー、ピンクゴールドメッキ)
マウスピース:Vandoren T20
リガチャー:BG Traditional
リード:Vandoren Traditional 3 1/2
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